30歳からのニューヨークライフ。

このブログは、30代にしてニューヨークに来てしまったゲイが思ったことを不真面目かつ真面目にお届けしようと試みるブログです。

ゲイカップルの料理事情。料理を作ることは愛情表現。

こんなエントリーがはてぶのトップに載っていた。

 

www.kawauchisyun.com

 

全部読んでものすごく納得した。

というのも我が家では、ほぼ料理を僕がするからである。そして嫁(もちろん男)は料理に対して何もコメントを言わないからである。

 

正直に言おう。

僕はプロほどに料理ができるわけでないけれど、家庭料理なら大抵作れるくらいの料理スキルは持っている。

千切りも、揚げ物、煮物、焼き物などなど、いわゆる料理が好きな男子(中身はh女子)とでも思ってもらえるといいと思う。

 

一方嫁。嫁は一切料理ができない。一切である。

彼曰く、料理は時間の無駄と思っているらしい(そう言われて料理を作る人の気持ちを考えたことがあるのだろうか?)。

 

嫁の料理の腕前で思い出すのは、付き合い始めの頃、卵焼きを作ろうとして目玉焼きを作っていた。

そして皿に乗せる際にとんでもないねじれ方をしていたのを覚えている。スノボの技かってくらいにねじれていた黄色い未確認物体。。

 

そんな嫁に、僕は日本でのデート時代を含めて、夜の予定がない限りほぼ料理を作ってきた。休みの日には昼ごはんも作っていた。

嫁の朝ごはんは決まってバナナ&ヨーグルトという、大学生のようなものが好きらしく何年もそれを続けている。

みかねて一度朝に早起きしてご飯を用意したところ、手をつけなかった(その時はイラついた)。クソ。

 

料理をする人間なら誰でもわかると思うが、別に誰も美味しいと言って欲しいから料理しているわけではない。でも、美味しいと言われると嬉しい。

 

自分の時間を使って作ってるんだからさぁ…みたいな押し付けがましいことを言うつもりは個人的には全くない。だって料理の代わりに相手がやっていてくれることも知らずあるだろうと思うから。

 

それでも料理をすることについて言いたいのは、料理を作る側は色々と考えながらやっていることを知ってほしいということ。味はさることながら、食感を出すとか、彩りとか

 

夜ご飯に関して言えば、相手が帰ってくる時間ももちろん考えながら作り始める。ご飯をといで、炊く。冷蔵庫の中にあるもので何が作れるかさっと考え、プランを練る。悩んでる時間はない。何が必要か、どこから始めるかを即座に決断を下し、作り始める。

時間との戦いである。なぜなら相手が帰ってくる時間に最も美味しい状態で出したいから。もちろん洗い物は少なくしたいから、料理をしながら片付けもし、進行している料理の味加減も見る。もりつける皿も料理に合わせたり。僕たちはゲイカップルだから子どもはいないけれど、子どもがいたらもっと大変だと思う。

 

料理をしない人間からすると、『ご飯、味噌汁、一品のおかずにサラダ』は簡単に作れると思っているかもしれないが、これを毎日作るなんて大変な作業。

僕の場合はアメリカで少し事情が異なるけれど、まず個人的にサラダを作るのが面倒くさい。日本ならとりあえずごはんだけ炊いておけば、スーパーやコンビニで簡単な惣菜を買って済ませることもできるかもしれないが、ここはアメリカ。徒歩圏内にそんな場所はない。

コロッケだって、ハンバーグだって、カレー、シチュー、チャーハン、オムライス、天ぷら、トンカツ、グラタンまで、全部自分で作って食卓に出している。そこにサラダ、味噌汁である。

 

料理に関していつも感じるのは、料理は作る相手に対して愛情がないと無理だと思うこと。以前めちゃくちゃ喧嘩して殺すと思いながら作った時のお好み焼きがを史上最強にブサイクで不味かったことがある。誰かを思いやらない家庭料理はこの世の中にない。

 

話を戻そう。

案の定、我が家の嫁(男)は「美味しい?」とこちら聞くまで言わない。そのくせ、時々ケチをつけてくる(殺す)。前に「こうしてほしい」と言われて、どうせ気がつかないでしょ、と思って何も変えずに「変えてみたよー」と言って料理を出したことがある。案の定嫁は何も気がついていなかった。笑

 

僕はそれ以来、相手の美味しい美味しくないにいちいち左右されるのをやめた。自分が作りたいように料理をすることが一番楽しいと気がついたからだ。

 

毎日、家庭で料理をする人に心から伝えたい。

 

料理は誰かのためにするのもいいけれど、自分のためにするのもいいよ。自分が好きな味付けで自分が美味しいと思ったものをたまに作ってみてほしい。

料理は誰かへの愛情表現でもあると同時に、自分への愛情表現でもあると思う。

 

さて、炊飯器のスイッチを入れるかな。