30歳からのニューヨークライフ。

このブログは、30代にしてニューヨークに来てしまったゲイが思ったことを不真面目かつ真面目にお届けしようと試みるブログです。

ニューヨークでの人種差別。2

以前、ニューヨークでの人種差別について書きました。

 

大阪なおみ選手の優勝で、日本では「こんな時だけ日本人扱いするな!」なんていう炎上名目のブログが流行っているようです。内容を見ましたが、炎上目的の内容なおかつ、自己弁護の言い訳がとにかくダサくて、本当ゲスい人だなと思いました。当該記事は探せば出てくると思います。

 

個人的に思ったのは、日本の中で一般論として「日本人はハーフを差別をしている」といえるのかということ。何を言いたいか、というより自分の中の答えは既に出ていて、要は差別する人って

「人によるんじゃね?」

っていうこと。

 

ニューヨークに差別はあるのかという問いについて考えてみる時、個人的に差別をされたことはないと以前のブログで書きましたが、忘れられない差別を目にしたことはあります。

 

ある日電車に乗っていたら、いきなり近くに座っていたアジアンアメリカンらしきおばさんが、黒人の男性に向かって

「こいつが私に唾を吹きかけた!警察に通報する!」

と言って喚き始めました。おばさんと黒人の間は明らかに離れていて、その間には自分が座っていました。だからもし黒人が本当におばさんに唾をかけたとすると自分にもかかるはずで、もちろん自分は唾をかけているのを見ていない。

おばさんはある意味普通な人だったし、あまりに唐突すぎて周りの人たちも様子を伺っていた。おばさんの剣幕は相当なもので、黒人男性も言い返していたが、おばさんが駅員を呼んで電車を降りて行った後で、男性は一人で泣いていた。自分はあまりにいたたまれなくなって、降り際にハグすることしかできなかった。男性は今まで生きてきて、こんなことが起きたのは初めてだと言っていた。

その日の帰り道は、自分も気分が重かった。目の前で人が差別されているのに何もできなかったし、言葉をかけたり制止することもなかった。ずっと頭の中でそのことがぐるぐるしていた。人が差別されるってこう言う事なのだと初めてはっきり体験した出来事だったのを覚えている。

 

純ジャパとして日本で生きてきた中で、まず、自分は人生の中でハーフを差別したことがないし、そういう人を周りで見たことがない、そしてそこまで多くのハーフに出会ったことがないというのが正直なところだった。ハーフはハーフで固まってたりするしね。あまり接点がないというのが事実です。

差別をしないのは、自分がゲイだからマイノリティ(ハーフはマイノリティっていう理論がまず差別だけど)の気持ちがわかるとかじゃないくて、

「する理由が思い当たらない」

から。だって差別して純粋に何の得が自分にあるのか分からない。

外国人差別する人は、自分が日本人だから優れてるとでも言いたいのかもしれないけど、そういう選民意識って、日本の中だけで過ごしているととても醸成されやすいと思う。それは社会のいろいろな場面でいわゆる「いじめ」として表出してたりする。

 

要は、日本はずっと「村社会」過ごしてきているんだと思う。だから、村のルールに合わないものが 村の中から(ここ重要!)出てくると、排除したがる傾向にある。いわゆる、「村八分」というやつです。その一方で、村の外で評価の高かったものは諸手を挙げて迎え入れる。

評論家や海外に出た人は日本の「村社会」をここぞとばかりに攻撃対象にするけれど、今海外で暮らす自分からすると、日本のいいところだとも思っている。他人を思いやり、助け合い、協力することができる。それは震災の時の様子を見れば明らかな美徳だと思う。

要するに物事には一長一短があって、一つの物差しで物事を図ることが差別の始まりだと個人的には考えている。某ブログのように「日本人はハーフを差別してきたのに、何か手柄をあげると手のひらを返して日本人だと認めるのは許せない」的な意見って、言ってしまえばその人が体験した個人的なものであって、それを一般化するには飛躍しすぎだとと思う。

 

ただ。

実際に差別を受けている人は確実にいると思う。

自分がゲイだからわかるけれど「それの差別って当人たちの意識次第で、言った方は差別と思ってないんじゃない」って言われると、(相手にするのがアホらしくて)返す言葉ないかったりする。だから差別を受けている人は「すみません、それ差別で嫌なのでやめてください」とはっきり言わないといけないし、それが言えない環境なら社会全体でそれを変えていかないといけないと思う。意見を伝えたのに変わらない人とは価値観を共有できないからそのあと、できるなら関わらないことが一番いい。

そして、おのずから人の意識の改革に訴えることをアメリカではどういう人たちがやっているかというと、政治家だったり、スターだったり、人気司会者だったりする。積極的に自分の意見を言い、「自分はこう思うからこう考える」ということを率先してやる。そういう活動が人々の心を動かし、ムーブメントになったりする。

 

一方、日本ではまず誰も政治的なことについて意見を言わない(タブー的な扱い)。テレビや国会でやることは人の噂話やゴシップ、足のひっぱり合いばかりで、本質的に大事なことは議論されない。そしていざ社会の中で自分に必要なものが整えられていなかったりすると「保育園落ちた、日本死ね」みたいな無責任な言葉が一人歩きし始める。政治家を選んできたのは、自分たちなのにもかかわらず。マスコミはそれを煽るだけで、本当に大事なこと、建設的なこと話し合いや活動はほとんど伝えなかったりする。

 

一言で言えば、日本の社会構造はみんなが無責任でいられる構造なのだと思う。みんなが無責任だから、逆説的にみんなの責任だ、ということが日本ではまかり通る。モーニング娘の吉澤が捕まって、中澤裕子が謝るのってさっぱり意味分からない。

 

話を戻そう。

ニューヨークで差別というか、一年過ごして時々感じるのは、現地の日本人は日本人に対して無礼だなということ。たとえばこの前体験したこととしては、ドアを通る時に次の人に開けてあげるのがアメリカの文化なのだけれど、日本スーパーなので会う日本人の現地妻はありがとうすら言わないし、目も合わせない。村の身内(同じ人種)だとわかると、途端に無礼・無遠慮になる。これは日本人の特質だと思う。

 

でもこれも結局、「人による」ことで、全員がそうではない。

 

黒人が犯罪を犯すことが多い。でも全員がそうではない。

ゲイはアナルセックスをする。でも全員がそうではない。

アジア人は無表情だ。でも全員がそうではない。

移民はアメリカ人の仕事を奪っている。でも全員がそうではない。

女はヒステリーだ。でも全員はそうではない。

男は男らしくあるべきだ。でも全員がそうではない。

日本人はハーフを差別する。でも全員がそうではない。

 

問題なのはある部分をカテゴライズしてそれが全てであるかのように語ることで、それはつまり「偏見」でしかない。

日本人がハーフを差別している、という言い方は逆に、日本人に対する偏見でしかない。要するに某ブログの筆者は自分にブーメランを投げているように見えた。その人が実体験として差別されたことがあることは日本人として残念だと思うけれど、だからと言ってそれを一般論として語るのはあまりに早計だと思う。

 

ニューヨークではいろいろな人種がごちゃまぜになって一緒に暮らしている。そこでは毎日大小様々な差別が起こっている。いろいろな人種が混ざり合って暮らす中でも、差別しない人は絶対にしないし、する人はする。そこに国籍や肌の色、性別は全く関係ない。人間性の問題。

 

なのでニューヨークに人種差別があるか?という質問に答えるとするなら、

「人による」というのが僕の実体験に基づく一番正確な答えだとおもう。

 

ではまた!